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ニュージーランド在住のプログラマがあれこれ書くブログ

【書評】人は働くために生きるのではない!『人工知能と経済の未来』

近年、人工知能の技術発展が目覚ましい。

膨大なデモ音源の中からヒットしそうな曲を予測したり、スポーツの試合の結果から新聞記事を自動生成したりといった技術はすでに実用化されている。中には、人間の能力を凌駕するものも現れており、将棋や囲碁では、すでに最強ソフトが人間のトッププロに対して圧勝した。今後、プロ棋士という職業が存在し続けられるのかという問題は、業界に重くのしかかっている。

これはなにも特殊な職業に限った話ではない。翻訳、自動車の運転、法律文書の処理など、コンピュータが人間の仕事を置換していくであろう分野は多岐に及ぶ。今後どんどん人工知能が発展していったとして、我々の仕事は残されているのだろうか?

『人工知能と経済の未来 2030年雇用大崩壊』は、そんな問いに対する答えを、経済学者の立場から論じた一冊だ。

「人工知能に仕事を奪われ 職に就けるのはたった1割!?」という衝撃的な帯文が目を引く。これは本書で示されている、現代人にとってもっとも悲観的な未来像だ。2030年に汎用人工知能が完成すると、急速に人間の雇用が失われ、2045年には全人口の一割しか働かない時代が来ると、筆者は予想している。

今からたった30年で、ほとんどの人間の仕事が無くなってしまう。では我々はそんな社会をどう生きればいいのだろうか。数少ない仕事を勝ち取るために、血の滲むような努力を続けなければならないのか。働けない人間は、そのまま飢えて死ぬしかないのだろうか。

答えは否だ。

本書では、「就職率1割」という未来を、実に楽観的な姿勢で捉えている。

人間の価値は「役に立つか」ではない

そもそも、「30年後、職に就ける人間は1割しかいません」と聞いたとき、なぜゾッとしてしまうのだろう。我々は、仕事のあるなしをなぜそこまで気にするのか。

筆者は「資本主義に覆われたこの世界に生きる人々は、有用性*1にとりつかれ、役に立つことばかりを重宝し過ぎる傾向にあります」とし、次のように述べている。

現代社会で失業は、人々に対し収入が途絶える以上の打撃を与えます。つまり人としての尊厳を奪うわけですが、それは私たちが自らについてその有用性にしか尊厳を見いだせない哀れな近代人であることをあらわにしています。みずからを社会の役に立つ道具として従属せしめているのです。
(『人工知能と経済の未来 2030年雇用大崩壊』)

本来、人間の価値は労働力としての価値で規定されるものではない。もしそうだとしたら、働くことのできない子供や、重度の障害のある人は、この世界にとって無価値になってしまう。

人間は、人間として生きているだけで価値がある。

にもかかわらず、失業しただけで人間としての価値をも失ったかのように感じてしまうのは、この資本主義社会で、自力でお金を稼ぐ能力が過剰に評価されているからだ。だからこそ、就活に失敗したり仕事をクビになったりして自殺する人がいる。奴隷のような労働環境でも、転職せずに働き続ける人がいる。

労働力としての価値を失うことを、みな異様に恐れているのが、現代社会の実像だ。

ベーシックインカムで人工知能が生み出す富を分け合う時代が来る

では30年後、人類の9割が労働力としての価値を失う時代、世の中はどう変化するのだろうか。そのままでは人類の大半が失業者として貧困に陥る。何らかの社会保障を整備しなければ彼らを餓死させることになる。解決策はあるのか。

筆者はその答えをベーシックインカム(BI)に求めている。BIとは、「収入の水準に拠らずに全ての人に無条件に、最低限の生活費を一律に支給する制度」(本書より)のことだ。本書内では「みんな手当」とも言い換えられている。

将来、人工知能が労働のほとんどを置換するようになれば、圧倒的な経済成長が実現し、途方も無い莫大な富が次々と生みだされる。

ならば、人間はほとんど働かなくとも、人工知能が生み出してくれる価値をBIとして分配し、それを収入として暮らしていけばいい。

その未来において、9割の人間は社会に対してほとんど有用性を持たない。しかし、人間としての絶対的な価値を持ち、BIによる収入でなんの心配もなく、毎日好きなことをして、人生を楽しむことができる。

だから、全人口の1割しか働かない時代について、筆者はまったく悲観的でないのだ。

人間はやりたいことだけやればいい

残念ながら、現代社会では誰もが何かしらの仕事に就いて働くことを前提としているため、働かずに生きていくことは非常に困難だ。

しかし、人工知能の発達は、その仕事のほとんどが機械で代替可能であることを明らかにした。わざわざ人間がやらなければならない仕事など、そもそも少ない。

では、やらなくてもいい仕事を、あえてやる理由は何か。

答えはたったひとつ、やりたいからだ。

もくもくと砂場で遊び続ける子供のように、特に必要性などなくとも、やりたいことだからやる。それ以外に働く理由はない。

人間は働くために生きているのではない。今を生きるために生きている。いずれ汎用人工知能が世界を席巻すれば、それが当たり前の時代がやってくるだろう。

だが、その到来を指をくわえて待つ必要はない。

自分自身がやりたいと思う仕事に就いてしまえば、今を生きるための人生は容易に獲得できる。

やりたいことだけやる。やりたくないことはやらない。人生を豊かにするためのそんな当然の真理を、人工知能の技術発展があらためて浮き彫りにしているように感じた。

*1:フランスの哲学者・バタイユの用語。対義語は「至高性」であり、役に立つかどうかにかかわらず絶対的な価値をもつこと。