こんにちは。
一時帰国して1ヶ月も経たないというのに、すでに4回リアル脱出ゲームに参加してしまった筆者です。
いやほら、日本にいないとできないことなんで、お金を惜しまずやっておきたいわけですよ……お金ないけどね。
しかし、日本には物欲を刺激するものが文字通りあふれていますね。
ただ近所を散歩しているだけでも、スーパーやコンビニにふらりと入れば何かしら新商品が入荷されているので、ついつい買ってしまいます。
すこし都会に足を伸ばせば、高級ブランドの路面店が軒をつらね、ハイソな生活スタイルを訴求してきます。
大型の100円ショップでは食料品から日常の便利グッズまで、ありとあらゆるものが100円で手に入りますし、ロフトや東急ハンズなど、ちょっとおしゃれな日用品が手頃な値段で手に入る店も充実しています。ビレッジバンガードやドン・キホーテといった、商品の陳列、ショッピング体験そのものにエンターテイメント性をもたせてしまった店舗というのも、日本ならではといえるでしょう。
リアルなものだけに限りません。
ゲームセンターやカラオケ、おいしいレストランに居酒屋、音楽ライブや映画に舞台、
地域ごとの特色ある風景や観光地、
手に入れたい体験も、この国にはたくさんあります。
こういう環境で暮らしていると、いろいろなモノ、体験を手に入れるためにお金がほしい!という思考に陥りがちです。
ところが、ニュージーランド、特にクライストチャーチのような小都市*1で暮らしていると、モノを手に入れるためにお金がほしい!とは、あまり思わなくなります。
それもそのはず、物欲を刺激するものがあまりにも少ないからです。
まず、ルイヴィトンやグッチなどの高級ブランドが手に入る店はあまりなく、銀座や渋谷のような、歩くだけで目がちかちかしてくるショッピング街はありません。
もちろん、こじゃれたショッピングスポットが全くないというわけではなく、カラフルなコンテナを組み合わせたショッピングモールで、復興のシンボルでもある Re:Start、
南島最大の複合商業施設であり、大型スーパーや映画館を備えたリッカートン・モール
といった場所は地元民にも人気です。
しかし、これらの施設には遊びに来るというよりも、生活必需品を買いに来て、ご飯を食べて、コーヒー飲んで、帰る、という、あくまでも日常生活の一部でしかないように感じられます。
もちろん、エンタメの数も種類も、日本とは比べ物にならないほど少ないです。
このような国でお金を稼ぐ動機は、モノのためではなく、生活するためになってきます。
となると、そこまで一生懸命にお金を稼ぐ必要もなくなるわけです。ただ毎日3食ご飯が食べられて、それなりの家に住めて、衣服にも困らなければそれでよいのですから。
日本とニュージーランドの働き方の違いは、この点にあるのかもしれません。
戦後、焼け野原から再出発した日本は、まずは安定した衣食住を手に入れるために、死に物狂いで働いてきました。その結果、驚くべきスピードで復興を遂げ、最低限の衣食住だけに飽きたらず、社会には数多くの、ある意味で“無駄なもの”までがあふれるようになりました。
誤解のないように書いておくと、わたしは”無駄なもの”は社会にとって非常に重要だと考えています。無駄なものとはその社会特有の文化であり、発達の度合いを測る指標です。衣食住の満ち足りた社会だからこそ、無駄な部分を発展させられるわけですから。
ただ、周りにそういった余剰が増えてくると、その余剰を手に入れるために、それこそ余計ながんばりをしなくてはならなくなる。
一方、ニュージーランドでは、幸か不幸か、そういった余計な欲をかきたてるものはあまりありません。
そのため、1日8時間だけ働いて、あとは自宅でのんびりと過ごし、週末は遅く起きてカフェでまったりして一日過ごすといった、かなりリラックスした生活が主流になっています。
ニュージーランドが世界ではじめて8時間労働を勝ち取ったという歴史もあいまってか、あくせく働くことへの忌避感があるのかもしれません。
「8時間労働」はニュージーランドが発祥 | 日刊ニュージーライフ
たくさんの無駄な、でもエキサイティングなものを手に入れるために頑張って働く国と、
そんなにエキサイティングなものはないけれど、最低限の暮らしのために働いてのんびり暮らす国。
どちらが良いというわけではありませんが、自分にはやはり後者のほうがあっているなぁ、と、一時帰国してから実感を強めています。
前者の国は、たまに遊びにきてぱーっとお金をつかう分には楽しいのですが、ずっと暮らしているとつかれてしまう気がします。
……こういう感覚がそもそも、ニュージーランドに毒されているのかもしれないですがね。
おわります。
*1:一応、人口40万人の南島最大の都市ではありますが、日本の人口40万人の街とは雰囲気が全く違います。