2017年の年末、テレビ番組「笑ってはいけないアメリカンポリス24時!」の中で、ダウンタウンの浜田雅功さんが顔を黒く塗って黒人を真似るパフォーマンス(ブラックフェイス)を披露したことが批判をあびています。
顔を黒く塗って黒人を演じるブラックフェイス。人種差別、黒人軽蔑の歴史が深く刻み込まれていて、いま世界では絶対にやってはいけないことになっています。それが、笑いのネタにされている日本。悲しすぎる。 https://t.co/8mWKSXfLGd
— 斉藤のどか (@nodokajcp) December 31, 2017
この騒動を最初に目にしたときの僕の感想は、正直に言って「えっ、これ差別なの?」でした。
黒人を笑いものにするためなら当然ダメだけど、エディー・マーフィーに敬意を込めてモノマネをするために顔を黒く塗るのも同様にダメなんでしょうか。 https://t.co/yAOOczfRlE
— はっしー@NZプログラマ (@hassy_nz) December 31, 2017
浜ちゃんは黒人をバカにするために肌を塗ったわけじゃないし、「ビバリーヒルズ・コップ」のエディー・マーフィーを真似しただけだし、いったい何がいけないのか、はっきり言ってよくわからなかったです。
が、自分の違和感をツイートしつつ、ほかの人の意見も読んでいくと、なぜブラックフェイスをやってはいけないのか理解できてきました。
Contents
ブラックフェイスは黒人差別から始まった
By Strobridge & Co. Lith – http://hdl.loc.gov/loc.pnp/var.1831, Public Domain, Link
その昔、「ミンストレル・ショー」というものがありました。
19世紀から20世紀初頭のアメリカで流行した、白人のコメディアンが肌を黒く塗り、黒人を演じるステージのことです。かつて、ペリーが黒船で日本にやってきた際にも、余興として演じられたことがあるそうです*1。そのくらい人気のあったパフォーマンスなんですね。
このショーの中で、黒人はしばしば「教養がなく下品」というステレオタイプに基づいて演じられ、そこには黒人文化に対するリスペクトなど微塵もありませんでした。たとえショーの内容が露骨に差別的でなかったとしても、そこには「支配階級である白人が、被支配階級である黒人を観て笑う」という構造があるわけで、ミンストレル・ショーの存在自体が人種による上下関係を前提としていることに間違いありません。
そもそもアメリカで人種差別が法的に禁止されたのは、公民権法が施行された1964年です。ミンストレル・ショーが人気を博した時代は、それよりはるか前。マジョリティである白人たちにとって、黒人はさげすみの対象だったんですね。
西洋社会において、黒人たちは苛烈な差別にさらされ続けてきました。残念ながら、今でも同じような状況が続く地域も存在します。多くの黒人たちにとって、ブラックフェイスはそうした辛い歴史を想起させるものであり、人種差別撤廃の流れに逆らうものであるため、現在ではタブーになっているんです。
表現の意図は違っても、ブラックフェイスはブラックフェイス
ここまで読んで、「西洋での黒塗りが差別なのはわかったけど、日本での黒塗りは違うんじゃないの?」と思った方がいるかもしれません。僕も最初はそう思ってました。
すぐ思いつくのは、ラッツ&スターですね。彼らの音楽にはそもそも黒人音楽へのあこがれがあり、そのリスペクトとして、あえて黒塗り&タキシード&白手袋という、ステレオタイプ的な衣装でパフォーマンスを行ってました。
ですが、
たとえリスペクトや愛から生まれたものだとしても、出てきたものが差別的表現と同じなら差別です。
「わたしの表現には愛があるから差別じゃない!」と主張するのは、「わたしの童貞いじりは愛があるからセクハラじゃない!」と主張する某ちゅう氏と同じ論法です。あえて差別的な表現方法をとる必要はありません。表現者ならば、別のやりかたで敬意を表しましょう。
そもそも本当に敬意や愛があるなら、当の黒人が「やめてくれ」と嫌がるような表現をすることはできないはずですね。
白人のモノマネをするために顔を白く塗るのも差別なの?
黒人のモノマネをするのと、白人のモノマネをするのは捉えられ方が大きく異なります。
前述のように、ミンストレル・ショーなどの歴史から、異人種が黒人のモノマネをするのには差別的な文脈が含まれます。これはモノマネをする本人に差別的な意図がなくても同じことです。
一方で、異人種が白人のモノマネをすることが白人差別と結びついた歴史はありません。ここに、受け入れられるか受け入れられないかの大きな違いがあります。
2014年に全日空が発表したコマーシャルの騒動を思い出してみましょう。お笑い芸人のバカリズムさんが金髪&高いつけ鼻というステレオタイプ的な見た目で白人を真似するという内容で、人種差別的であるとの批判を受けて、コマーシャルは放送中止に追い込まれました。
しかし、当時の反応を記録したニュースを読むと、実際は賛否両論だったようです。当の白人からも「差別的だ」「無害なジョークにすぎない」と双方の意見が噴出しており、批判一色ではなかったように感じられます。
顔を白く塗るのがNGかどうかは僕の感覚ではわかりませんが、異人種のモノマネをするにしても、快・不快の境界線があり、それは人種や個人によって違いがあるのは明らかであると思います。少なくとも「肌を白く塗るのがOKなら黒く塗るのもOKだろ」と言えるものではありません。
そして、「笑ってはいけない〜」への反応を見る限りでは、ブラックフェイスによって不快感や怒りを覚える黒人が多数派であることは間違いないでしょう。黒塗りは許容範囲の外側にあるのです。
ブラックフェイスを禁止したら、日本人は黒人のモノマネができなくなるんじゃないの?
黒塗りをしなくても、黒人のモノマネはできます。
たとえば以前「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」で「アメリカで地元の街を車で流す黒人」というネタをやった芸人さんがいましたが、彼は別に顔を黒く塗っていたわけではありませんでした。それでもちゃんと黒人の雰囲気が出ているネタで笑えました。
肌の色を変えないとモノマネが似ないのならば、そのモノマネは本質を捉えていないのではないでしょうか。
じゃあ黒人キャラのコスプレもできないの?
アニメや映画には肌の黒いキャラクターもたくさん出てきますよね。ブラックフェイスを禁止することは、日本人は黒人キャラのコスプレもできないってことなんでしょうか?
逆に考えてみましょう。黒人のアニメファンは、日本人や白人のキャラのコスプレをする時、わざわざ肌を塗るんでしょうか?
Google 画像検索してみると、自然な肌の色そのままにコスプレを楽しんでいる黒人の画像が多数ヒットします。(「black cosplay」の検索結果)
コスプレするのに肌の色まで真似する必要はないってことがわかりますね。黒塗りに慣れてしまっている日本人の感覚では、なんとなく成り切り度合いが足りないと思っちゃいそうですが、そこはこらえるべきポイント。肌の色以外の部分でコスプレを楽しみましょう。
まとめ
今回の騒動を通して、本人に自覚がなくても、無知や鈍感さから差別は起こりうることを強く学びました。
「日本では普通だし、リスペクトでやっていることだから、差別だとは思わなかった」という言い訳は通用しません(それじゃ某ちゅう氏と同じですよ)。オリンピックを2年後に控え、ますます海外との交流が高まっていくからこそ、国際的な価値観には敏感にならなくちゃダメです。
普段、何気なく行っている言動についても、もしかしたら誰かを差別して傷つけているかもしれません。これを機に自分のふるまいを見つめ直したいと思います。
ではでは。
黒人の人が苦言を呈してるのに許されるネタだと思ってる人が多いのはホント残念でした
まず第一にビジュアルを似せるのがコスプレやモノマネだと思いますが…。
それより、黒い肌は真似ることすらNG、という考えにこそ差別の根幹が表れていると思います。
自分の誇りに思っているところをマネされても怒る人はいないので、誇張でないただのモノマネで憤る黒人は、自らの肌の色を触れてはいけない禁忌や劣等の証として、ますます世界中に認識させてしまっているように感じます。