こんにちは、ニュージーランド在住ブロガーのはっしー(@hassy_nz)です。
突然ですがあなた、なにかをやめるの得意ですか?
胸を張って得意だと言える人は少ないと思います。
無理もありません。
僕たちは大人になる過程で、おもに学校生活を通じて「続ける」=「善」、「やめる」=「悪」という価値観をすりこまれてしまっているからです。
世の中にも「継続は力なり」「石の上にも三年」「あきらめたらそこで試合終了ですよ」など、続けるのはいいことだ!というメッセージがあふれていますよね。
しかし、やめることも続けることと同じように大切です。
やめどきがわからず、ずるずると続けてしまうと大変なことになる場合だってあります。
僕自身、やめることが下手くそだったがために手痛い失敗を何度も繰り返してきました……しかも4回。
今回はそんな僕の失敗談をお話します。
上手にものごとをやめられないと、こんな怖いことになりますよ。
Contents
失敗1・中学校の部活
最初の失敗は中学校時代にまでさかのぼります。
当時僕が通っていた中学校は部活に力を入れており、生徒は全員なにかの部活に入らなければなりませんでした。
正直に言って、僕にとっておもしろそうな部活は何ひとつなかったんですけど、小学校からの友達がこぞって入るからというのでバトミントン部を選びました。
でも本気のスポーツとしてのバドミントンって超絶ハードなんですよね。
瞬発力や反射神経、動体視力にラケットのコントロール……
全身の能力が求められる、きつい競技なんです。
しかも、僕は極度の運動オンチ。
逆上がりも二重跳びもできないほどでした(今でもできない)。
どー考えてもバドミントン向いてないし、実際ぜんぜん楽しくありませんでした。
でも当時は校則をきっちり守って学級委員もやるような優等生だったこともあり「最後までがんばらなきゃ」と思って続けていたんですが……
事態は二年生に進級してから大きく悪化しました。
バドミントンがちっとも上達しない僕は新しく入ってきた下級生たちに完全になめられてしまったんです。
ほかの上級生の指示はきちんと聞くのに、僕の話にだけは従わなかったり……
上級生には丁寧語で話すのがルールなのに、僕にだけタメ口きいてきたり……
思春期だった僕の心はかなりやられてしまい、部活に行くのがだんだんしんどくなってきました。
ところが、中学校には「一度入った部活をやめることはできない」というとんでもないルールがあったんです。
ルールに従うことしか知らない僕は、無理して通い続けることしかできませんでした。
それでも勇気を振り絞って顧問の先生に「部活をやめたい」と相談に行ったものの、「そんな弱いことを言うんじゃない!!」と逆に怒鳴られてしまう始末。
押し込められていたフラストレーションが、ある日ついに爆発します。
放課後の部活の練習のさい、下級生たちとちょっとしたことで言い争いになりカッとなった僕は、美術の授業のためにもってきていた彫刻刀を相手に向けてしまいました。
当時は「キレる中学生」が各地で事件を起こしていたこともあり、いつか真似してやろうと考えていたんだと思います。
さいわい相手を傷つけるようなことにはならず、警察沙汰にもなりませんでしたが、一歩間違えれば取り返しがつかなかったかもしれません。
結局、卒業するまでバトミントン部をやめることはありませんでした。
3年間、好きでもない部活に費やした時間を別のことに使っていれば……と、いまでも後悔しています。
失敗2・大学時代のバイト

二度目の失敗は大学生のときにやってきました。
僕ははじめ塾講師のバイトをやっていたんですが、これがまったく自分に向いておらず、生徒の成績がぜんぜん上がらない。
こりゃだめだ……と思っていたところ、ちょうど進級して講義の数が増え、シフトに入るのが難しくなったのでやめてしまいました。
(こういう「物理的に無理だからしかたない」って理由があると簡単にやめられるんですよ)
もう頭使うのはいやだ……楽なバイトがしたい……と考えていた僕が次に目を向けたのがコンビニのバイトでした。
コンビニならお客さんが来たときだけレジ打って、あとは商品の補充とかしてりゃいいだけだから簡単じゃんと思ったんですよ。
ってことで、通学途中にある駅の中のコンビニに応募、即採用されました。
ところが、コンビニの仕事ってめっちゃくちゃ大変なんですよね。
レジ打ち以外にも、宅配便の受けつけや検品などの仕事が飛びこんでくる。
消費期限の厳しい肉まんなどのホットフードには常に気を配らないといけない。
定期的に自販機の補充にも出なければならず、この手順がまためんどくさい……などなど。
時給の割にやることが多く、しかもマニュアルらしきものもないので、全部頭に叩き込んでおかないと仕事できないんですよ。
でも、もともと「楽なバイトがしたい」っていう不純な理由で応募してしまった自分のこと、仕事がまったく覚えられません。
言われたことにメモをとる気もないし、シフトも週に2日しかいれてないので当たり前です。
仕事は特におもしろくもつまらなくもないものの、だんだん先輩にも後輩にもうとまれはじめてしまいます。
が、そもそもモチベーションが低いので「まぁいいや……」としか思っていませんでした。
そして、このモチベーションの低さが事件を引き起こします。
その日は商品の在庫をすべて数え上げる「棚卸し」という作業の前日で、自販機の商品をすべて満タンにしておかねばならないという決まりがありました。
しかし僕はそんなこと覚えてないので(ほんとダメだな)、社員さんに「自販機補充した!?」とツッコまれてはじめて気づくありさま。
あわてて自販機のカギを取り、社員さんとともにジュースのダンボールを抱えて補充に向かいます。
なんとか補充をすませて「間に合ったね〜」とそのまま更衣室に戻りました。
社員もバイトも全員服を着替えてさあ帰ろうと、さっき補充した自販機の前を通り過ぎたとき、背筋が凍りました。
自販機の扉が開きっぱなしになっている……
社員さんがあわてて駆け寄るも、時すでに遅し。
売上金がすべて抜き取られてしまっていたんです。
終電ギリギリまであたりを探しましたが、見つけることはできませんでした。
翌日、店長からこっぴどく叱られたのは言うまでもありません。
「思ったより楽じゃないな……」と感じた時点でやめておけば、周りに迷惑をかけることもなかったでしょう。
バイトは大学卒業までだましだまし続けてから退職しました。
失敗3・社畜生活

「やめられない」ことが原因による失敗は、ついに僕の命をおびやかすレベルにまでなってしまいます。
僕は大学を卒業して、とあるIT企業に就職しシステムエンジニアとして働き始めました。
文系学部の出身でありプログラミングなどの経験はまったくなかったものの、実際に仕事をやってみると思いのほかおもしろく、IT系の国家資格も順調に取得。
その適性を買われてか、1年目ながら社内でもかなり重要なプロジェクトの一員に加えてもらえました。
しかし、2年目からだんだんと雲ゆきがあやしくなってきます。
配属当初はプログラミングの仕事が多かったものの、しだいに開発スケジュールを作成したりお客さんに進捗報告をしたりするような管理業務を任されるようになってきました。
この管理業務がまっっったくおもしろくない。
おもしろくない割にやるべき仕事量はむちゃくちゃ多く、月の残業時間は平均で60時間に達し、多い月には100時間を超えました。
当然、よゆうで過労死ラインを突破しています。
もともとプログラミングに興味があってIT業界にとびこんだ自分としては、開発そのものにたずさわれない、しかも長時間労働という状況がストレスになり、どんどん身体をむしばんでいきました。
日中は原因不明の胸の痛みと眠気になやまされ、トイレの個室に閉じこもる時間が増えるようになります。
ときには駅のホームで「いま線路に飛びこんだら楽になれるかな……」と危ない想像をすることも。
今ふりかえると、完全なうつ状態だったと思います。
家にも帰れず、14日連続勤務が続いていたある日のこと。
眠気と戦いながらオフィスでキーボードを叩いていたそのとき、ふっと一瞬目の前が真っ暗になった気がしました。
(あっ このままだと俺は死ぬ!)
そう感じた僕は、その場で財布だけをポケットにねじこみ黙って会社から逃げ出したのです。
実家に帰って風呂浴びて、そのまま布団に入って寝てなんとか助かりました。
もしもあのとき逃げ出さずにそのまま働き続けていたとしたら……今考えてもゾッとします。
やめるべきことを無理して続けると死ぬこともあるのだとはっきり悟りました。
このときの顛末は、以下の記事にも詳しく書いてあります。

失敗4・彼女との同棲

なんとか過労死の危機をのりきった僕は、それから3ヶ月ほどして、当時つきあっていた彼女と同棲をはじめました。
京都に住んでいた彼女を名古屋に呼び寄せ、なかば結婚を前提としたような甘い生活……になるはずだったのですが。
引っ越し初日は6月の蒸し暑い日でした。
ふたりで荷物を運び入れ、さて外の風でも入れて一息つこうかと窓を全開にしたところ、背中に突き刺さるような視線を感じました。
うしろを振り返ると、そこには鬼の形相の彼女が立っていました。
「ねぇ……エアコンついてるの気がつかないの?」
いつの間にか、彼女が冷房のスイッチをいれていたんです。
「あっごめん」と慌てて窓を閉めた僕に、彼女はさらに視線を冷たくして続けました。
「わたしが暑いの苦手なの知ってるでしょ……どうしてそういうことするの? わたしが何が嫌だかわからないの?」
彼女はやや精神的に不安定で、自分の思い通りにならないことがあると極端に攻撃的になるくせがあったんです。
これまでは遠距離恋愛だったのでさほど気づきませんでしたが、いざ一緒に暮らしてみると地雷ポイントはあまりにも多く、僕のささいな行動ひとつひとつが彼女を常にいらだたせてしまいました。
「どうして布巾が臭くなる前に取り替えないの?」
「どうして冷蔵庫の中に大きな皿を入れるの?」
「どうしてタオルをこんなふうにたたむの?」
「ねえ答えられないの? いま何歳なの? 子供なの?」
きつい言葉を浴びせられるたびに、僕は自分で自分を責め、彼女に土下座して謝りたおしました。
当時は気づいてなかったんですが、これ言葉のドメスティックバイオレンス(DV)なんですよね……
精神的にもかなり沈んでいき、ひょっとしたら過労死寸前に陥ったとき以上にうつ状態だったかもしれません。
一方の彼女もそうとう精神的にやられてしまい、日中起き上がることもできなくなっていき、ついに「この部屋を出ていく」と言い出します。
ところが黙って出ていく彼女ではなく……
「引越し費用と当面の生活費として、100万円出してほしい」と要求してきたんです。
さすがに100万円は出せないと断りましたが、僕自身も彼女をボロボロにした罪悪感があったため、結局45万円払ってしまいました……
なんですぐ別れなかったの?と言われるかもしれないですけど、同棲する前はそれはそれは可愛い彼女だったんですよ。
頭の回転が速くて話もおもしろくて、ずっと一緒にいたいと思える人でした。
だからこそ、またあのときのように楽しく過ごせるんじゃないかと無理して同棲を続けてしまったんですよね。
また、いろいろ事情があってまわりの反対を押し切っての同棲だったというのも、無理をしてしまった理由です。
一緒に住んで幸せになって、文句言ってた奴らを見返してやろうと思ってたわけ。
かつての幸せな思い出と、しょーもない世間体にこだわった結果、身も心もボロボロになりお金までなくなっちゃったんですね……
まとめ 〜 継続は力なり、撤退もまた力なり 〜
「石の上にも三年」なんて言葉もあるように、世の中では何事も続けることが大事だと考えられています。
しかし続けることと同様に、やめることもまた大事なんです。
この記事では、うまくやめることができなかったからこそ僕自身が経験することになった失敗をご紹介しました。
「継続は力なり」なら、「撤退も力なり」だと僕は思います。
楽しくない、飽きた、自分が無理をしている……
そんな風に感じたら、いさぎよくやめるのも立派な解決方法です。
人生を無駄にしないため、また自分の身体と精神を守るためにも、「嫌だったらやめていいんだ」という考えをもっておくようにしましょう!
ちなみに僕はこの4度に渡る失敗から、ある明確な「撤退基準」をもうけています。
いまのところ、このおかげで新たな失敗は回避できています。
これについてはまた別の記事で詳しく書く予定です!