5月24日、政府が「キッズウィーク」構想を正式に発表した。
朝日新聞などの報道によると、小中高校の夏休みを1週間分削り、ほかの月に移動させることで、保護者の有給取得を促し、家族そろって休めることを目的としているとのことだ。
僕は基本的に、残業削減や有給取得促進のための施策には賛成の立場を取っている。散々な評判のプレミアムフライデーも、始めこそ批判していたが、国が率先して早く仕事を切り上げろというなら乗ってしまったほうがいい、というのが最近の意見だ。
しかし、キッズウィークにはどうしても賛成できない。構想そのものに違和感があるし、まったくうまくいく未来が見えないのだ。その理由を説明していこう。
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子供とその家族のための休暇というコンセプトが差別的
そもそも、子供とその家族が一緒に休めることを想定した連休、というコンセプトが差別的である。子供のいない世帯や、独身の立場はどうなるのか? まさか、子供のいる社員が休んでいる間、彼らだけで仕事を回せとでもいうのか?
いまさら言うまでもなく、現代の家族のありかたは多様化している。様々な事情で子供をもうけない夫婦もいれば、同性のカップルもいる。
有給休暇の促進は、子供のいるいないに関係なく、労働者全員の問題のはずだ。それをまったく無視して、「子供と一緒に休める休暇」という実に画一的な価値観を国が持ち出すのはいかがなものか。
労働問題に教育現場や子供を巻き込む必要はない
キッズウィークの導入でとばっちりを食うのは教育現場だ。来年4月からの実施を目指すとのことだが、キッズウィークの時期によっては、カリキュラムや学校行事のスケジュールに大きく影響が出るだろう。教員の負担はもちろん、子供にとってもいい迷惑だ。
労働問題を解決するために、なぜ学校まで巻き込まなければならないのか? もっと直接的な方法があるにも関わらず、子供をだしにして、わざわざ手間のかかるやり方を選んでいる。部屋の電気を消すのにブレーカーを落とすような要領の悪さではないか。
どうしても有給を一斉に取得させたいのなら、子供のいるいないに関係なく休ませればいいだけの話だ(これでもまだ問題があるのだが、詳しくは後述する)。
仕事のやり方を変えずに休みを増やしても残業が増えるだけ
僕が以前勤めていた日本の会社では、毎週水曜日は「ノー残業デー」だった。5時30分になるとオフィスが消灯され、労働組合の担当者が見回りを行っていた。
しかし、誰かが電気をつけなおし、ほとんどの人が平然と残業を続けるのがいつもの光景だった。
なぜか。ルールだけ決めても、仕事のやり方を変えなければ残業は減らないからだ。
キッズウィークでも同じことが起こると予想される。仕事のやり方を変えずに、多くの人が一斉に一週間も休む連休を導入しては、結局ほかの平日にしわ寄せが行くだけだ。
休暇の時期を国が決めるのはおかしい
有給休暇の取得は、労働者に認められた権利のはずだが、その行使のタイミングを国が指示することにも違和感がある。貴重な日数のうち、どうして5日も強制的に決まった時期に取らなければいけないのか。
一週間も休みがあるなら、冬の北海道でゆっくりスキーがしたいとか、真夏の沖縄の海で泳ぎたいとか、人によってやりたいことは様々だろう。好きに休みを取るための有給休暇なのに、一斉にこの時期に休めと指定されるのはおかしい。
キッズウィークの狙いのひとつに有給休暇の消化率アップがあるようだが、ただ消化させればいいというものでもない。労働者の好きな時期に休みが取れるようにならなければ、日本の労働環境はいつまでたっても欧米に遅れを取ったままだ。
まとめ ー 労働者が有給を申請すればキッズウィークなど不要 ー
キッズウィークには、職場内での不公平感を増大させ、教育現場にも大きな負担をかけ、結局、各方面から不満が噴出して廃止に追い込まれる未来しか見えない。なぜ国家のトップが知恵を絞ってこんな案しか出てこないのか理解に苦しむ。
裏を返せば、日本の労働者は国が強制でもしない限り有給を取らないということだろう。そもそも日本のサラリーマンがちゃんと有給を申請していれば、キッズウィークなど不要なのだ。
日本の低い有休取得率は解決すべき問題だが、有給取得の権利を行使できるのは、国でもなければ会社でもなく、労働者たるあなた自身しかいない。いくら国や会社が制度を作ったところで、最後は労働者自身が行動しなければ何も変わらないことは肝に銘じておく必要があるだろう。
