先日、会社のチームリーダーと面談を行った。
リーダーから「この会社で働いていて楽しい? 困ったことはない?」と尋ねられ、
僕は即座に「すごく楽しいですよ。日本で働いていた会社とは大違いです」と答えた。
「日本では毎日2時間から3時間残業するのが当たり前でした。
ときには週末を潰したり、徹夜でバグ修正を行ったりすることもありました。
それに比べてこの会社では残業が全然ないし、毎日適度な作業量を与えられて集中して仕事ができるから最高ですよ」
彼女はこれを聞いて、驚いたような呆れたような表情を見せこう語った。
「その日本の会社、マネジメントがひどい。
いくら長時間仕事をしたところで仕事が終わるなんてありえないのに」
いくら働いても問題は無くならない
「それは生産性が落ちるからってことですか?」と尋ねる僕に、彼女はこう続けた。
「例えば、いま未解決のバグが10個ある。
すべて直すのに80時間かかる。
でも納期まであと5日しかないとしましょう。
1日8時間労働だと40時間しか費やせない。
じゃあ1日16時間働いて80時間使えば、全部修正できると思う?
実際はそうはならない。
なぜなら、問題を解決するたびに、次の問題が見つかるのだから。
あなたもひとつのバグを直す間に別のバグを見つけてチケットを書いたことあるでしょう?
インタフェースの改善案を思いついたことがあるでしょう?
いくら残業したって仕事は終わらないし、問題はゼロにならない。だから残業するだけ無駄なの」
その言葉の衝撃のあまり、からだに雷が落ちたかと思った。
わたしは日本でのシステムエンジニア時代を思い出していた。
ある新規機能開発の納期まであと1週間。
設計担当兼チームリーダーだった僕は、Excelに記録されたバグの一覧を見ながら憂鬱な気分を抱えていた。
課長や部長からは納品までに全てのバグを潰しきれとハッパをかけられていたが、定時内の仕事だけではとても終わらない。
現場のプログラマたちに頭を下げ、連日連夜の残業をお願いして、時間をかけながらひとつひとつ問題を修正してもらっていた。
しかし、プログラムのバグというのは直線的に減っていくものではない。
ひとつのバグを潰している間に隠れていた別の問題が発覚したり、
あるバグ修正が別の箇所に影響を与えて新たなバグを生み出したりして、
減っては増え減っては増えを繰り返していくものなのだ。
当然、納品までにバグをゼロにすることなどできない。
死にそうな顔をしながら、上司に「申し上げにくいのですが、まだこれらのバグが改修しきれません」と報告すると、
苦虫を噛み潰したような顔で「仕方ない、残りは納品後に改修だ。先方には残存バグの説明に伺うんだぞ」と指示が出る。
メンバーにあんなに残業してもらったのに、また期間内に仕事が終わらなかった……。
そうして何度も何度も自分の無能さを呪ってきたのが、日本でのシステムエンジニア時代だった。
でも、そもそもどれだけ残業したって仕事は終わらないのだとしたら?
リーダーは最後にこう付け加えた。
「わたしだって、できることなら全ての問題を修正したいし、全てのタスクをかたづけてしまいたい。でも現実にはそれは不可能。
常に苦渋の決断をしながら、メンバーに残業が発生しないように、これはやらない、これは後回し、って優先順位をつけてるわけ。
それがマネージャーの仕事だから」
知的労働を「完璧に終わらせる」ことなど不可能
長時間労働の問題は、生産性と関連して語られることが多い。
そのような側面も確かにある。
連日働き過ぎて疲労が蓄積し、日中のパフォーマンスに悪影響が出てしまっては本末転倒だ。
しかしそこには別の意味もあった。
システム開発のような知的労働は、いくら時間をかけたところで終わらないのだ。
完璧な仕事など存在しない。
一応の完成を見たとしても、そこには依然として問題が残されているのである。
そもそも、長時間労働が常態化した現場を救う方法は、優先順位によって本当にやるべき仕事を厳選すること、すなわち「トリアージ」しか無いと、エドワード・ヨードンがその著書『デスマーチ』の中で2001年にすでに喝破している。
それから15年以上も経ってなお、多くの現場でデスマーチが繰り返されているのは不思議で仕方がない。
メンバーの体力と気力を全力投入して灰になるまで働かせ、あらゆるタスクをすべて期間内に終わらせるのが立派なマネジメントであると勘違いしている管理職が、世の中には多すぎるのではないだろうか。
SE時代の光景が蘇りました。
顧客に残存バグを報告した後にまたバグが見つかり、「バグはあれで全部って言ったじゃない!すぐ直しなさいよ!」みたいな雰囲気になってたことにとてももやもやしてました。
はっしーさんの記事を読んで衝撃を受けました。。
>「トリアージ」
日本企業の場合、「完璧」が基本だから「トリアージ」も完璧なんだよね。。もちろん顧客優先側一杯として。なので「トリアージ」した結果が残業に次ぐ残業なんだよな。
なお日本でも「毎日適度な作業量」の環境は一応あります。給料は高くないのが難点ですが。
私はプログラマではないですが、日本ではパワーポイントひとつとっても過剰品質が求められていたなぁと感じます。
日本人の完璧なものづくり気質はそれはそれで素晴らしいし、日本製品が世界でもてはやされる理由もはあると思うが、それが日本でのITの発展を妨げ、プログラマ不足を助長している気がする。
「あなたが犠牲を払うから幸せになれないのです」という言葉を思い出します。しかし、支配者のために大衆の犠牲を強いている文明社会は、犠牲を払わない者を退出させる社会でもあります。
おわりはないよなぁ、
>id:futukayoi1818
バグをすべて見つけて直すことなどできない、と理解してくれない人がほとんどですからね……。そういう空気が最終的にはバグの隠蔽を産みます。
>id:toro-chan
顧客の要求が厳しい日本だからこそ、小さなコア機能を先にリリースして周辺機能を後回しにしないと品質を担保できないと思うんですが、どうもそうはなりませんね。発注する側があまりに学んでいないように感じます
>id:notefromus
誤字ひとつ許されない空気ありますよね。完璧主義・減点主義の社会は怖いです
>id:gomocoro
完璧が存在しない世界に日本のものづくり精神を持ち込もうとするのがそもそも間違いな気がしますね。
>id:todo_todo
僕は犠牲になりたくないので日本社会をドロップアウトしました。幸せです!
>id:Nikon1J2dejicame
そこをどう終わらせるかがマネージャの仕事なんですけどねぇ……。
「その日本の会社、マネジメントがひどいわね。
spanish to english
僕は昔は流通関係で働いていたけど、上司たちは私用電話でこんな話をしていた。
「いやぁ早く帰ってもする事がないんだよ!」なんて苦笑いしながらしゃべっていたけど、こんな中間管理職というか「社畜」が会社というか若い社員をダメにした気がする。
受託企業だと、品質判断が出来ず過剰品質を提供してしまいがちなイメージです。勉強になります。
知的労働はいくら時間をかけても完璧には終わらないって当たり前のことかもしれませんがハッとしました