こんにちは、はっしー(@hassy_nz)です。
ニュージーランドでは、新型コロナウィルスの流行に伴うロックダウンが続いています。
ずっと部屋の中に閉じこもっていても身体にガタがくるので、毎朝20分ほど散歩するようになりました。

秋の冷たい風が吹くなか、ポケットに手を入れて歩いていると、少しずつ思考が内側に向いていくのを感じます。
断絶されたこの世界を、そしていつかまた結びつく世界を、僕はどう生きていきたいんだろう。
だいぶ暗い話なので正直ブログに書くべきか迷いましたが、これもひとつの記録だと思って書くことにします。
Contents
自分はこのまま海外生活を続けたいのか
自分はこのまま海外に住み続けたいのか、日本に帰りたいのか。
けっこう本気で悩んでいます。
……あ〜あ、書いちゃった。
一瞬でツイッターのフォロワーさんが100人は減った気がする。
そうですよね、海外在住のブロガーから「日本に帰ろうかな……」なんて声、聞きたくないですよね。
でもこれが今の僕の本音です。
ちょっと今日はこのまま本音で話をさせてください。
日本で僕を心配してくれている両親のこと
僕は兄弟はおらず、ひとりっ子です。
65歳の父親と、61歳の母親を日本に残してきています。
長男が親の面倒を見るのは当然なんて時代でもないですが、やっぱり親のことは気になります。
ニュージーランドに行くと決めたときは「そのうちそっちに家買って呼んでくれ」なんて言ってたけど、ふたりとも英語はまったくできないし、60歳過ぎてから海外はさすがにしんどすぎる。
だいたい、僕の年収がいまの倍以上にならないとビザをサポートすることもできないし。
いまはふたりとも大きな病気もなく元気ですが、いつどうなるか誰にもわからない。
コロナのような伝染病は、親の死に目にあえないどころか「親の遺体すら見れない」状況が生まれることを教えてくれた。
一番近い家族のそばにいられないのが、とてもつらい。
地球の反対側で元気にやっていられるのも、親に育ててもらったおかげですからね。
両親ともに還暦を迎えたいま、また親の近くに戻りたいという思いが強くなっています。
お別れを言えなかったばーちゃんのこと
おととしの一月、ばーちゃんが94歳で亡くなりました。

頭は少しボケてきてはいたけど、身体は90歳を過ぎてもまったくの元気で、医者からも100歳までは大丈夫ですよと太鼓判を押されていた。
でも年末に風邪をこじらせてからすぐ寝たきりになって、2週間ほどで旅立ってしまった。
正月明けにスカイプで両親と話したとき、画面の隅のベッドの上にちらりと映った顔が、最後に見たばーちゃんになりました。
ちゃんとお別れを言えなかったことが、今でも胸の奥につかえています。
ばーちゃんと同居していた両親は「これはもう長くない」とわかっていたらしく、遠方に住んでいる親戚にも声をかけて、顔を見に来るように伝えていたようです。
それを僕にははっきりと伝えなかったのは、心配をかけたくないという両親の気づかいだったのでしょう。
僕は幼いころに祖父を亡くし、ずっとおばあちゃん子でした。
海外に出るという選択をしたのは自分だし、そこに後悔はありません。
しかし、海外に出たために、大切な家族の最後のそばにいられなかったのも事実です。
「かずのり(僕の本名)の孫を見るまでは生きとらんにゃいかんでな〜」というばーちゃんの声が、今でもときどき聞こえてきます。
海外で働き続けるモチベーションのこと
不本意ながら僕はいま独身であり、養うべき家族がいるわけではありません。
ニュージーランドの永住権はすでに取得しており、しかもこの永住権は一生有効です。
世界中どこに住んでいようと、いつでもまたニュージーランドに戻ってこれます。
正直に言って、ニュージーランドに住み続ける必要がないんですよね。
そもそも僕がニュージーランドに出てきたのは「絶対に残業しないプログラマになりたかったから」でした。
6年前の日本には働き方改革なんて言葉はなく、特にプログラマはブラックな職種の代名詞だった。
だからこそ、自分の理想を実現するためには海外に出るしかないと判断したんです。
でも当然ながら、残業さえしなくていいなら日本にいてもまったく問題ないんですよ。
会社員プログラマとして4年以上働いてそれなりに貯金もできたので、なんなら実家に帰ってしばらく働かなくたっていい。
贅沢しなければ、月に10万円も稼げれば十分暮らせるし。
いまの世の中、世間体を捨てればどうとでもなるんだよね。
アフターコロナの世界で考えよう
海外に住みはじめてからおよそ6年。
今が一番、「もう日本に帰ろうかな……」という気分マックスになっています。
コロナ騒動で世間全体が鬱々としているなか、少し気が滅入っているだけなのかもしれません。
ニュージーランド航空も国際線の長距離便がほとんど飛ばなくなって、日本への直行便がいつ復活するかもあやしい状況だし。
世の中が「アフターコロナ」と呼べるようになったら、また視界も開けてゆっくり考えられるでしょう。
そのときに結論を出したいと思います。
Nihon Zuttosumukamo
にしたらNZのままいけますよ👍
その手があったかw
はっしーさん
コメント失礼します。
自分も、海外で仕事をしたいと考えているので、とても考えさせられる記事でした。お祖母様にご冥福をお祈りします。
かおさん、ありがとうございます。これも海外生活のリアルの一面ではありますね。